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流されはしなかった~最終章 [桜田淳子]

最近、古本屋で、山口百恵さんの『蒼い時』を、偶然発見した。

内容は、概ねわかっていたつもりだが、読むのは初めてだった。

誰しもが抱える心の葛藤など、読む必要はないと思っていたのが、本音のところだ。

しかしながら、山口百恵さんの特殊な境遇を割り引くとしても、『蒼い時』が、華やかな芸能界にいて、トップアイドルの内面を自ら描いたものであるように、僕は、桜田淳子さんのファンとして、ささやかなわだかまりを書くべき時が来たように思う。

高校に進学してすぐのことだった。

『スプーン一杯の幸せ』を観た後、帰りに長いアーケード街にある大きめの本屋で、同名のエッセイを立ち読みしたが、結局買ったのは、大柄な僕とは不釣り合いとも思える可愛い挿し絵の入った詩集だった。

小さな詩集をカバンに押し込むと、長いアーケードの閉まりかけた商店街を抜け出し、電車通りで、バスを待った。

その時だった。

突然アンケートを求められた。

学生服に身を包んだ僕は、バス待ちの暇潰しに応じたが、その後、もう少し話をしたいと言うので、連れ出された。

間口の狭いある民家に行ったところ、そこには、数人の男女がいた。

僕は、背中を押されるように中に入った。

その後、徐々に人は増え、狭い空間は所狭しとなり、やがて意味不明な問答が始まった。

ひ弱に思える彼らを見て、取り囲まれても不安には思わなかったが、だんだん面倒くさく不快に思ったものの、人並みをかき分け狭い間口を外に出ることは不可能だった。

僕は、観念して応じたが、もともと頑固な性格が、この場面は幸いしたのだろう。

2時間位で、僕は解放され、下宿に帰った。

大学生の頃だった。

友人が、『原理研に入ると、桜田淳子に会えるかもよ』というようなことを言ってきた。

原理研って、イスラム教か何かかと聞いたことと、キリスト教ぽいということ、気の弱そうな数人の同好会だったという返事だけは、覚えている。

そして、そんな訳ないだろうということでその場は終わった。

その友人からは、コマ劇場のミュージカルを誘われたり、Misskissは好きだが、ミスティはどうもねぇという話やら、石野真子の親衛隊には、桜田淳子の元親衛隊が多いという話やら、当時としては、たわいもない話を聞かされた。

社会人になってしばらくしてからのことだった。

上司が営業マンから貰ったとかで試飲用の『メッコール』を持ってきて、感想を聞いてきた。そして、『オーロラの下で』の映画観賞券をくれた。

僕は、ドキドキしながら、晴海通りの下にある銀座の映画館に行った。

それから、翌々年の2月のことだった。

家内が週刊誌を読んでいたので、偶然のぞき見したが、統一教会の文鮮明氏が特例で来日するような記事が書いてあった。それが発端だった。

統一協会という名前を知ったのは、実はその時が最初だったといっていいと思う。

オウム真理教やその他の新興宗教が話題になることはあったが、その類の些細なことだった。

数か月後、朝、出勤間際に、家内が桜田淳子さんの記者会見のニュースを知らせてきた。

僕にとっては、相手は、芸能人かスポーツ選手か、または実業家か、いづれにしても、おめでたいことぐらいにしか思わなかった。

家内の方が、情報に詳しく、それがお目出度くないのよというようなことをいっていた。

僕は、毎日毎日、残業やら早出やらで、ろくにテレビを見る暇もなく、時折、電車に下がる広告を眺める程度で、特段感想もわかなかった。

しかし、桜田淳子さんが、幸せになることは疑いをもたなかった。それは、中学以来から積み重ねられた記憶の集積によるものだったのだろう。

これらは、全て、一過性の、たわいもない記憶に過ぎないはずだった。

しかし、今から4年半前、偶然YouTubeで、桜田淳子さんを見つけ、興味を持って調べてみると、とんでもないことになっていることに、たじろいだ。

淳子さんは、幸せになれなかったのではないか。

そう思い始めると、いてもたってもいられなくなった。

そして、色々な過去の記憶が、断片化され、万華鏡の様に組み合わせを変えながら、青春時代のポジティブな淡い思い出が、ネガティブなものに変質していく怒りを覚えた。

そして、ブログを書くことにした。

最初、否定的なことが頭をよぎり、思考を好転させることができなかった。

紆余曲折の末、たどり着いた答えは、霊感商法でも、マインドコントロールでもなく、イデオロギー問題だということに気付いた。

問題の全ては、そうでなければ困ると考える人たちのロジックにすぎない。

左派的な思考を抜けられないコメンテーターや弁護士、国会議員。

そして、1992年の合同結婚式に端を発した、バッシング騒動は、多くの誇張を伴った。

それは、憲法の条文を踏まえるまでもなく、現代の人権感覚では当然だと思われた精神的自由に踏み込む異様なものだった。

桜田淳子さんの『声の手紙』で、人の『良心』に触れられている。

そこでは、文字通り『良い心』という意味で、秋田を離れるときの、友達の苦言が紹介されている。それを聞きながら、ふと考えた。

法律の世界では、『良心』は、道徳的な意味は含まない。むしろ『内心』といった方がいいのかもしれない。

『良心の自由』の意味するところは、踏み絵を踏ませて、人の内心を測ることはできないということではないか。

しかし、結果的に『合同結婚式』は、桜田淳子さんが、芸能界に残るかどうかの踏み絵となってしまった。

江戸時代の踏み絵で、人の生死を決めるのを、残酷だと思う我々だが、『合同結婚式』参加で、人を評価してしまったことを、将来の人は、どう考えるのだろうか。

道徳的な意味でも、法律的な意味でも、人の『良心』が尊いことは、同じだと思う。

昨年暮れ放送の『伝説の芸能60年史』の桜田淳子さんの正直な受け答えを見て思うことは、もっと違った解決はできなかったかということだ。

それでも、淳子さんは、周囲の反対を押しきり、ご主人と船出した。

文字通り、自分を貫いた。

前回紹介の『淳子さんの講演』を読んで感じたことが三つある。

一つ目は、最初、無名の統一協会のシンボルとして、淳子さんの芸能活動を妨げないよう、それは『公然の秘密』として、形式的に入会していたにすぎないのではないか。

二つ目は、合同結婚式参加が踏み絵となり、結果的に『恨』を持つことで、心の闇を探すようになったのではないか。

三つ目は、淳子さんが『恨』を克服したとある。

それならば、もはや、旧統一協会に留まる必要はないのではないか。

そんなことさえ思えてしまう。

ただ一つ言えることは、淳子さんは、ご主人とともに、川の流れに流されず、昇りきられたことは間違いないだろう。

流されはしなかった

動画のUP主様に感謝します。

本文の全ての文責は、イワタヤイセタンに存します。


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君が君であるために [桜田淳子]

時が戻るとは思わないし、それが正しいとも思わない。
前に進むことのみが可能な選択肢だ。

昨年暮れも押し詰まって、日本と韓国で、従軍慰安婦問題が妥結に至った。
外交決着を図ったというのが正直なところだろう。

従軍慰安婦問題は、戦争責任でも、歴史認識問題でも、人権問題でもないのではないか。

妥結という事実から、演繹的に考えれば、本当の問題点も見えてくると思う。

韓国では、大国に囲まれているという地理的要因が大きく作用する。
周辺国の戦略的な要衝ということになる。

韓国の経済面は中国への依存は否定できないが、安全保障面ではアメリカの、通貨問題では日本への依存が大きい。

中国がアジアの覇権をめざしていることは、決して悪いことではない。
しかし、そうするには、時代が進みすぎた。
第二次世界大戦の教訓は、植民地政策ではなく、民族自決を促した。
そうした自由主義的精神のもとでは、古代史的レベルの繁栄や復活を謳い上げることより、自由で対等なパートナーシップが求められるのは自明ではないだろうか。

そうした危機感を共有しつつ、昨年、環太平洋パートナーシップは締結された。

それは、くしくも中国の海洋進出を阻む形で形成された。

中国の経済減速が顕在化しつつある今、韓国政府は新たなバランスを求めるだろう。
それは、戦略防衛としての『THAAD』の導入であり、経済対策としての、『TPP』への参加であり、通貨危機への備えとしての『日韓通貨スワップ』ということになる。

アメリカの利上げなどの影響もあり、限られた選択肢の中で、従軍慰安婦問題が妥結されたとみるのが自然な流れだと思う。
韓国政府の負担が大きい妥結だったということはだれの目にも明らかだろう。

日本は、10億円負担するが、それは、『TPP』へのアドバンテージからすれば、将来的にはペイできる。

同様の流れは、台湾の総統選挙にもあてはまる。
一言で言うなら、価値観外交の勝利ということになる。

ここまで来たことに水を差すわけではないが、それは根本的な解決ではないことを記憶しておくことが大事だと思う。


慰安婦の存在を否定するものではないが、植民地の人にとって、内国人は金があり、それは、一種の羨望の対象だったことや、金銭目当ての過剰なサービスが存在したことも、台湾の国鉄に勤務した経験のある父が、戦後しばらくたって宴会の席で話していたことは記憶している。

日本が戦争に敗れ、占領下でGHQのジープに群がる子供がチョコレートを求めたことも、アメリカの基地の周囲には、家計を支えようと女性たちが集まっていたことも、生きのびるためにやむを得なかったことだと理解している。

何より、そうしたもろもろがバネになり、今の日本を作ってきたことの方が重要だと思う。

今大事なのは、事実がどうかではなく、韓国での従軍慰安婦の人たちの安らかな老後を静かに見守ることだろう。

歴史の表舞台に引きずり出した、当時のマスコミの無能さにはあきれるばかりだが、それを政治利用した団体、政治家の言行こそが否定されるべきことではないか。

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最近、あるブログを読ませていただいた。
『 秀のブログ 淳子さんの講和 』と題するものだった。
Hydenoshikou.kakuren-bo.com/entry/85/

まず、この文章が東淳子さんの言葉をどこまで忠実に再現しているものかは、もちろん、私には検証することができない。
その上、敷衍することがどういう意味を持つかも考えなければならない。

『淳子さんの講演』を読み、最初戸惑ったが、背景と絡めると読み解けてきた。
それが、正しいかどうかは、将来に託さなければならないのだが、少し書いておきたいことがある。

『自らが天国をつくる者』と題するこの講演の、キーワードは『恨』ということではないだろうか。
( 恐らく、講演者はこれを『ハン』と読まれたのだと思う。)

講演者は、21年以上前のことを、許し、そして自ら謝ることにより、苦しみから解放されたと語られている。
講演者の言葉を借りれば、
『人生最大のテーマは人を許すということではないでしょうか。人を許さねば、人から許されないのです。』
  
棺の前で『来ましたよ』と優しく語りかけたのはそういうことだったのだろう。
確かにあの時の表情には、かつての面影があったし、心落ち着くものがあった。

昨年12月暮れに放送された、『伝説の芸能60年史』では、1992年当時の報道の過熱ぶりが思い起こされた。
何のために報道しているのか。


当時の芸能レポーターの述懐により、くしくも報道することが自己目的化したことがうかがえる。
報道者の反省の意味も込めて放送されたこの番組を見て、本稿を書くことにした。

この講演文を読んで思ったことは、山あり谷ありの中でも、信じる人と寄り添われたこと、心の痛みを分かち合われたこと、そして、変わってはいないこと、が嬉しく思えた。


僕が僕であるために


『ハン』はもちろん朝鮮の人にとっては、考え方の体系の中で核心的なものだということをわきまえなければならないのではないか。

日本での『ウラミ』は、晴れることはあるが、朝鮮での『ハン』にはそうなることは予定されていない。

韓国の『恨の文化』に対し、日本は『和の文化』という対比ができよう。
聖徳太子の17条の憲法の第1条がくしくもこのことを表現している。
『和を以って尊しとなす』
その時代、大陸から多くの文化が伝来したとき、考え方の防波堤にした。

私には、『恨の文化』を正しく理解することはできないが、文化の違いを誇張することなく、違いを尊重し、胸深く鎮めることができればと思う。

前出の講演において、『恨』をもつことが、苦しみの原因だったことが書かれているが、歩み寄ることによりそれは可能だと、講演で、語りたかったのだろう。そうしたことが、本部から地方に伝わり、正常化することを願うばかりである。

それこそが、『天国』つまりは隣人として住みやすくなるということなのだろう。

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今年になって『週刊現代』で、桜田淳子さんの特集など組まれた。
手にして、懐かしい写真を目にしたが、そこには淳子さんのコメントがあり、『楽』しんでと、書かれていたことが、胸に刺さった。

桜田淳子さんは、人を楽しませることが本当に好きだったんだ。

それだけに、芸能界から、身を引いた当時のことが、なおのこと思い起こされて仕方がない。

追伸  動画のUP主様に感謝します。

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永遠のもっと果てまで [桜田淳子]

『淳子は幸せになれるのか』

1992年9月頃のワイドショーの見出しだった。

もちろん、番組内容は、世相を反映しての賛否両論だったに相違ない。

これ以降、次第に批判の声は強まっていく。

この年の6月、僕は、早朝のテレビを、出勤前の慌ただしさの中で垣間見た。

『一度決めたことは、覆らないだろう』

これが、その時、僕の秘められた率直な思いだった。

そして、桜田淳子さんが不幸せになることなど、僕の思考外のことだったと言って良かった。

そして、オセロゲームのように、世の中の風潮が白から黒に変わっていっても、考えは変わらなかった。

ただ、年月が事実を風化していったのみだった。

今から3年前の4月、スマートフォンを手にした。

物珍しさから、子供に教えられるまま動画サイトを検索してみた。

恐る恐る『天地真理』と入力し、懐かしさがこみ上げてきた。

何気なく、関連する動画を見てみると、紅白歌合戦での『黄色いリボン』が目に飛び込んだ。

今、どうしているんだろう。

そう思ったことが巡り合わせだった。

ネット検索して飛びこんできたのは、目を覆いたくなる記事の連続だった。

しかしながら、そんな記事の中から、当時を過ごした人と、それ以降の人を分けるのはそれほど難しいことではなかった。

私は、それ以後、時折、このようなネット社会を覗くことは出来たが、参加する気など無かった。

参加しても、勝ち目など無いと思っていたし、それは私の仕事ではないと思っていたからだった。

それからは、所詮、ネットの世界のことだと割り切ろうとしていた。

6月頃だろうか、NHKテレビで、『ミュージック ポートレイト』と言う番組を見た。

松田聖子さんが出ており、何となく見ていたら、聖子さんに影響を与えた曲と言うことで、『気まぐれヴィーナス』が紹介された。

しかし、聖子さんの口から、『桜田淳子』という言葉は聞かれなかった。

画面に流れたのは、藤井隆さんの顔まねだった。

それが、現実だった。

何かがおかしい。

7月に入って、ある人のブログにコメントしてみた。

広大なネット社会に住む人に意見をぶつけてみたが、到底、満足を得る答えはなかった。

数回コメントを繰り返す打ちに、私の心の中に怒りがこみ上げてきて、それがどうしようも無い振幅となったとき、いつしかブログを書くようになった。

最初は、桜田淳子さんへの思いを記すことにした。

忘れていた記憶を1日1個思い出そうとした。

そしてあることに集中力を高めた。

当時、民主党の政権時代であり、日本の国力が疲弊し、国際的地位も低下して、これまでに無い最低な時代だった。

日韓の竹島領土問題、慰安婦問題、日中の尖閣問題、歴史認識問題が、目に見える形で吹き荒れ始めた。

これが、『失われた20年』の実像だった。

これから日本が回復に反転する可能性があるとするならば、その波に乗せてあげたい。

そう思い始めた。

しかし、それは、今となっては、必要なかった。

『マインドコントロール』という言葉も根拠のない宙に浮いたものとなり、『霊感商法』は被害額を確定できず『消費者センタへの相談金額』という不定の金額しか提示し得ない。

そうすると、行きつくところ、『イデオロギー問題』に帰結する。

イデオロギーに、善悪はつけられない。

時代により優劣が決まる。

所詮そうしたものだ。

残念ながら、1992年、桜田淳子さんは、時代という波のなかで、芸能界を離れた。

でも、時代の犠牲となったのではない。

時代に振り回されたのは、僕らの方だった。

2013年11月、桜田淳子さんは博品館劇場での『Thanks40』で、多くのファンに囲まれて、『幸せな1日』だと語ってくれた。

淳子さんは幸せであり、取り残されたファンのことだけが彼女の気がかりだったということがわかった。

『スター・ウォーズ』が間もなく封切りとなるが、アナキンが、ダースベーダーに化身させたのは、『怒り』だった。

怒りが思いもかけないパワーをうむ。

多くの淳子ファンの『怒り』が、永い時を超え、結実したのかもしれない。

そして、『再会』とともに、その怒りが過度に増幅することもなく、『静かな喜び』となった。

昨年、6月だっただろうか、『サワコの朝』だったと思うが、松田聖子さんが、ゲストで登場し、桜田淳子さんの『気まぐれヴィーナス』を紹介してくれた。

僕には十分すぎる喜びとなった。

その後も、多くの人の口から淳子さんのことが語られる。

先日は、アグネスの口からも語られた。

統一協会問題についても、最近、古参の幹部の更迭や、統一協会という名前の変更など、組織改革が進んでいると聞く。

過去のマイナスの風聞が改善されるとすれば、それを見守る必要があるのではないだろうか。

日本人の宗教観は独特で、多神教であり、宗教に対して包容力があると思う。

11月に入って、日本、中国、韓国の複合的な会談が、開催された。

思い起こせば、このブログは、日中韓について多くのスペースを割いてきた。

歴史問題、領土問題は、国力と関係する。

国力を上げることが、解決を早まることは自明であろう。

異論はあろうが、解決策の一つとして、自衛権の拡大、価値観まで拡大した形での妥結となった『TPP』が、この問題への解決を早めることになるのだろう。

これからは、『怒り』を解いて、冷静に問題解決を図ることが必要となる。

『怒り』は、力を生むが、解決には至らず、新たな問題を生みだす。

戦前の日本の轍を踏むことなく、妥当な運用が必要になると思う。

憲法違反だという声があり、方や、憲法改正だという声がある。

いずれも極端であり、違和感がある。

憲法が目指す平和な国にするのは、人による冷静な判断に他ならない。

私は、日本人がこれまで培ってきたバランス精神こそが試されるのではないかと思う。

良くも悪くも、経験を財産にして工夫をする『いなしの知恵』とは、そういうものではないか。

20年以上の時を経て、桜田淳子さんの楽曲を聴くのが再び楽しみになってきた。

今なら、自分自身のパズルの最後のピースを見つけられるかもしれない。


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もつれた糸 [時事]

報道とは何か。

 そんなことを考えさせられることが続く。

数年前、子供の受験の為と思い、石原千秋さんの『受験国語が君を救う』と言う本を買ってあげたことがある。

受験により、読解を知り、思考の多元化を図ることができ、そこから智恵が生まれる。

僕らの時代は、よく、朝日新聞の社説か天声人語を読むことを進められた。

さらに、評論、随筆は、小林秀雄さんの難解な本を読むことが求められたし、小説は、夏目漱石を愛読するものが多かった。

それは、受験に良く出題されると言う理由が大きかった。

そして、学生の頃は、インテリ気取りのある種の証明に、『朝日ジャーナル』があった。

学食でさりげなくを読む友達に妙なコンプレックスを感じたものだ。

朝日ジャーナル編集長の筑紫哲也さんの寄稿は読んでいた記憶がある。

まだまだ、理想論をかざしてわかったような気になっていたときのことだった。

『朝日ジャーナル』自体は、左寄りだとしても、筑紫さんの読み物は、それを感じさせなかった。

それは、彼のジャーナリズム精神に由来するのだと思う。

その朝日ジャーナルの転機となった時代を紐解いてみよう。

1985年だったか、豊田商事事件があった。

カメラの前での刺殺という衝撃的事件とともに悪徳商法という言葉を、全国的に有名にした事件ではないかと思う。

それまでは1970年代のネズミ講事件しか知らなかったが、マルチ商法など、○○商法という言葉が生み出されていったのもこの頃だった。

それは、金融の時代、バブルの時代を見据えての時代の『光と陰』だったかもしれない。

翌年の1986年になると、『霊感商法』という新語を耳にする機会が増えてきた。

その年の12月5日号の『朝日ジャーナル』に霊感商法を糾弾する記事が掲載される。

当時の編集長は、筑紫哲也さんだった。

しかし、ほどなく、筑紫哲也さんは、編集長を下ろされる。

そして、『朝日ジャーナル』は、霊感商法批判、統一教会批判をさらに強めていく。

その急先鋒が、当時無名のルポライターの有田芳生さんだった。

フリーのジャーナリストとしては抜擢と言っていいのかもしれない。

その象徴として、朝日ブックレット『霊感商法』(朝日ジャーナル編、1987年6月)が発行される。

つい最近のことだが、『霊感商法』という小冊子を近くの図書館で入手した。

もちろん、時代意識をもって批判的に読む気持ちはあったが、それ以前に、正直あの『朝日ジャーナル』が、と思わせる内容だった。

あきらかに、時代の言葉である『○○商法』にかこつけての、統一教会への名指し批判である。

このブックレットは批判する必要の無い程度だったことだけは断言できる。

本来なら、あらすじでも拾い、問題点を挙げるのが正しい批判のあり方かもしれないが、読み始めて、落胆するまでに、さほど時間がかからなかったとだけ記録しておこうと思う。

読者が、この手の記事に求めるのは、何故そうなったかの取材の深さであり、それが導きうる時代への警鐘なのではないか。

しかし、このブックレットにあるのは、東西の古いイデオロギー問題だったと言っていい。

イデオロギー問題を少し角度を変えてみよう。

1980年のモスクワオリンピックは、前年のソ連のアフガン侵攻に抗議する形で、西側諸国がボイコットし、1984年のロスアンジェルスオリンピックは、東側諸国がボイコットする事態になっていた。

しかしながら、この二つのボイコット合戦は、多くのスポーツ選手を傷つける不幸はあったが、結果的に見て、西側の商業主義によるオリンピックが成功し、共産主義は衰退に向かっていったように思う。

事実、翌年1985年から、ゴルバチョフ時代になり、ペレストロイカが推進される。

もはや、マルクス主義は、学問的には成り立つとしても、人類の進歩の前には無力であることが露呈したのではないだろうか。

1985年以降は、商業主義化の流れの中にあり、純粋な共産主義は衰退に向かうと共に、彼らの主張は資本主義の枠組みの中で、その主張をしていく事になる。

朝日ジャーナルの変容はその影響下にあるとさえ思える。

筑紫さんが、偏った編集方針を当時どう感じたかは、今更の感があるが、編集長交代後の朝日ジャーナルの衰退・廃刊への道を考えるとき、本のタイトルを離れジャーナリズム精神をも見失っていったことと無縁では無いと思う。

時は流れ、今、親会社の朝日新聞が、歴史的な岐路に立っている。

従軍慰安婦問題のけた外れの誤報が、明るみになった今、朝日新聞社の姿勢そのもののが多くの批判にさらされている。

読者ばかりか、記事の提供者までが、離れようとしている。

池上彰氏が原稿掲載拒否で朝日新聞の連載中止を申し入れ

そして、国会喚問までとりざたされている。

1970年代の西山事件で毎日新聞が倒産に追い込まれたことが思い起こされる。

報道の危機といってもいいのではないだろうか。


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菊と刀 [時事]

時の経過は、人に様々な変化を与える。

40年近く前だが、高校の時の漢文の授業の事は良く覚えている。

『仕事だから漢文は教えるけれども、大して重要ではない。』

と切り出しながら戦争体験を話すのが常だった。

先生は、元海軍のパイロットだった。

歯並びはがたがたで、笑うとお世辞にもいい気分になれなかった。

それでも、授業の半分で語られる戦争体験は、僕らを引きつけた。

先生は過去の戦争を美化していたのだろうか。

自分の勇敢さを誇示していたのだろうか。

今でも、良く覚えているこことは、空母への着艦の難しさだった。

海上では、風の影響を受け、波に揺れ、離着陸の距離は短く、短時間に操縦をこなさなければならない。

しかも無駄な飛行は、貴重な燃料の浪費となる。

その上、少しでも弛んだ姿勢を見せると、容赦なく上官の鉄拳が飛ぶ。

先生の歯並びの悪さは、その影響が大きいと言うことは容易に察しがついた。

軍隊には、『軍人精神注入棒』というのがある。

六角棒で、そこには軍人精神が書かれており、それでお尻をたたかれるという。

先生が痔だったこともあるが、その痛さたるやこの上なかったとのことである。

何が幸いするか分からない。

着陸の際の衝撃を和らげることが、自分の尻の痛みを和らげることになる。

技術は、そうして磨かれたというのが、先生の言だった。

その先生が、言う。

『零戦で、いよいよ最後を知ったときに、パイロットが口にするのは、決して天皇陛下万歳ではなく、残された家族、多くの場合おかあさん、だった。』

そして、戦争は人を狂気に変える。

厳しい訓練や軍隊生活の中にいると、死ぬのが怖くなくなる、という。

そんな、先生でも、宣戦布告した国に対する恨み節は聞いたことがなかった。

もちろん、戦争を体験した両親も含めて身の回りの人で、国の責任を問う声は聞いた事が無かった。

多くの人が、廃墟から立ち上がり、戦後の危機は乗り越えたが、実は、戦後が遠くなればなるほど、戦争責任を問う声が強いのではないだろうか。

それは、外国からだけではなく、国内からもそうだろう。

特に、この『失われた20年間』ほど、その傾向が強い。

かつて、ベネディクト女史は、『菊と刀』で日本を『恥の文化』だとした。

子供の頃は、戦争の悲惨さが強調されていたが、この20年間に与えられたものは、日本人の名誉を踏みにじるものが多かったように思う。

このブログで、慰安婦問題を何回か取り上げた。

まだ幼い頃から、従軍慰安婦のことはテレビドラマでも取り上げることがあり、この耳慣れない言葉を父に聞いた事がある。

しかし、時代が進むにつれ、女性の権利が高まると共に、この問題は現在の人権感覚と絡まり、複雑になってきた。

あきらかに、法理論を逸脱している。

そこには、別の意図がある。

過去記事では、

日本と韓国の関係  

すべてはここから始まった

と題して、

朝日新聞の慰安婦に関する記事の訂正

河野談話の検証

の2点の挙げていたが、それは、根拠が薄弱だったこと、展開に飛躍があることからすれば、あまりにも当然すぎることだったと思っている。

今年になって、7月に河野談話の検証が行われ、8月に入って朝日新聞の従軍慰安婦に関する訂正記事が発表された。

それが、外交の果実であるにしても、遅きに失した感がある。

なぜなら、十分すぎるくらい多くの人を苦しめた思うのは私一人では無いと思うからだ。

来年、戦後70年を迎える。

この時期に、集団的自衛権を始め、国内外に様々な動きがある。

その動きに反発の声は多く聞かれる。

その多くは、侵略戦争への反省に根ざすものだろう。

僕らの時代には、教科書には侵略とは書かれていなかった。

それは、戦争経験者が多数を占める時代、戦友の死がまだ身近にあった時代に、どうしても『侵略』とは書けなかったのだろう。

しかし、第二次世界大戦以前は、欧米列強による植民地政策がとられ、アジア、アフリカには独立国としての体裁がなく、食うか食われるかの時代で生き残ることが難しかったのも事実であるし、列強により後進国の分割が進む中での軍事的な侵攻であった思う。

もちろん、それを侵略と言うべきだろうが、欧米列強のアジア、アフリカへの侵攻は、すべて侵略だったと言うことだろう。

昭和20年8月15日、終戦を迎え、日本は無条件降伏し、連合国による東京裁判で戦争犯罪を裁かれ、占領下では軍国主義の温床となるものは解体した。

温床となる価値判断は欧米の価値判断に多くを委ねられたことは書くまでもない。

ただ残されたものがあるとすれば、それは、戦地に赴いた者の記憶と、教室の隅で恐れず語る教師の声や、寝床で語る父親の話なのかもしれない。

それは、恥ずかしいこと、やましいことがなかったということだけは断言できる。

今日、終戦の日を静かに迎えるにあたり、いささかでも先人に思い至りたいと思う。

追伸、動画のUP主様に感謝します。期間限定での引用と致します。


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青いリボン〜声を限りに [時事]

新潟の駅前や街頭で、声を限りに訴えかけられてから、その輪が少しづつ広がった。

しかしながら、時の進み方に比べ成果は少なく、理不尽さは多くの国民が共有したのではないだろうか。

十年以上になるが、小泉首相の時に、拉致問題解決に向け風穴が開けられ、5人が帰国されたものの、それでも完全な解決には至らなかった。

その後、北朝鮮の核開発や朝鮮情勢が話題になるたびに、横田さん夫妻を始め、関係者の声が紹介され、それを声高に記事にされていく日々が続いてきた。 中には、特定の意図を持って、拉致被害者の方々に接してきた人もいる。

そうした諸々が、情報を混乱させてきたことは否めず、横田さんの悲しみを癒したか非常に疑わしいものも多かったように思う。

しかしながら、こうしたあざ笑うような膠着状態に、光がさしてきたのではないか。

先般、ストックホルムでの日朝交渉の結果、拉致問題は再調査されることが決定された。

もちろん、それが交渉の成果である限り、日本も譲歩が必要だった。

そして、アメリカを始め、韓国などの周辺国の外交的理解なしには、この交渉は成り立たないことは、先のオバマ大統領日本訪問での横田夫妻との面会で、伺い知ることはできる。

そうした多難を越えた成果であることに思いを馳せる。

『一人の生命は、全地球より重い』とは、法を学ぶ人に限らず、多くの心の拠り所となることが多い。

拉致事件への取り組みは、そうした日本人の心の有り様を映しだすものだと信じる。

横田さんたち拉致被害者や、関係者の方々、それを支援される方々の胸にはブルーリボンバッチが掲げられている。

バッチが外される日を静かに待ちたいと思う。

その日、日本海の青い海は、波静かであることを祈るばかりだ。

追伸 拉致問題の記憶は、2012年9月3日、『恥ずかしい思い出』として、ブログに書き留めた。

ブルーリボンとともに、記憶が書き加えられることを静かに願う。


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独眼竜政宗に見る~初陣 [時事]

歴史に学ぶ機会は多い。

時代の変遷による価値観の変化はあるにしても、底流に流れる考え方にさしたる違いは無い。

それを『不変』というには、まだまだ経験が足りないが、それを鏡とすることは出来る。

先般、独眼竜政宗第7回『初陣』を観た。

冒頭、和尚が、若き政宗に諭す。

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『若は、敵を憎んでおるか。

大将たる者、誰も憎んではならぬ。

憎んで出たのでは、阿修羅の働きがせいぜいじゃの。

敵を調伏(ちょうぶく)し、世を救うことは出来ぬ。

憎しみは、必ず我が身に刃を返す。

まあよい、心眼を開いておれば、おいおい分かる。』

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2013年3月1日、1919年に起こった「三・一独立運動」を記念する式典の中で、朴大統領は、

「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、千年の歴史が流れても変わることがない」

と述べ、それ以後、各国を歴訪し、日本の歴史認識を糾弾する。

この事に対して、当然日本国内でも反発の声が上がる。

『千年』という時は、古くは平安時代に遡ることになるほどの永い年月だ。

非常に残念なことながら、日韓の消えることのない『憎しみ』を浮かび上がらせることにほかならない。

『歴史認識』ということが、最近よく耳にする。

しかし、歴史は、学ぶべきものであり、将来の礎にすべきものだと思う。

徒に、引き合いに出し、感情の道具にしたり、経済的利益を引き出す材料にすることは、愚かな事だと言わなければならない。

歴史研究は重要だけれども、それは政治家の仕事ではなく、学者の仕事ではないか。

韓国では、沈没事故について、大統領が涙の謝罪会見を行った。

しかし、それにもかかわらず、非難や中傷が入り交じっている。

大統領のやるべきことは、謝罪会見で涙を流し、海洋警察組織を解体し、官僚と民間の癒着をさらすことなのだろうか。

こういうときこそ、人心を掌握し、まとめ上げることが大事では無いかと思う。

目先の選挙にとらわれることがないように祈る。

伊達輝宗は、大河ドラマの中で、

『殿は、あまりにもご家来衆を信じ切られております。』

と切り出し、自らの野心を告げる家来に向かい、手打ちにせず許しこれを重用する。

その光景を、政宗は目の当たりにし、先ほどの和尚の教えを噛みしめることになる。

もちろん、輝宗は、軍紀を乱した者をそれ相応に戒めることを怠らない。

一軍の将とは、そういうものだと思う。

敵か味方かは、その場の状況で相対的に決まることがある。

憎しみの感情は、政(まつりごと)の妨げになる。

それが、判断を狂わせることこそ歴史に学ぶべきだと思う。

追伸

今、日韓関係は、最悪なものとなった感がある。

本屋にいっても、嫌韓本はあふれ、雑誌は書き立てている。

このブログを書き始めた当初までの韓流ブームは、今は昔の感さえある。

出口が見えない今の状況を打開できることを偏に願う。


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東北復興に、黄色いリボンはたなびくか。~独眼竜政宗 [時事]

3年という月日は、永いのか、短いのか。

2011年3月、東北の大震災は、平和ぼけしたかのような日本に大きな衝撃を与えた。

多くの悲しみを共有しつつ、教訓にかえて次の世代に伝えていくことになるのだろう。

1987年のことだが、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』が放映された。

遠く、戦国時代に思いを馳せるとき、武力を背景にするものではあり、下克上の世の中であったにしても、根底には自国の領土を繁栄させる考え方は確かにあった。

政宗が、仙台の礎を築くに当たり、中央政権とのパイプに重きを置きながらも、地方色を生かし、安定した政治を行った手腕は今の見本となるのではないか。

それぞれの地方には、誇れる英雄がいる。

大河ドラマが、地方の活性化の刺激になっている側面はよく指摘されていることだが、この『独眼竜政宗』から、その傾向が顕著になったと言っていい。

当時、このドラマの主人公達が、仙台を訪れ、祭りに参加し、賑わったというエピソードが今も語り継がれていることは、非常に嬉しい。

残念ながら、歴代視聴率最高のこの大河ドラマをNHK自体が、全編再放送することは、これまでなかったという。

理由は察するにあまりあるが、今となっては、触れる必要は無いのかもしれない。

それより、このドラマの再放送を素直に喜びたい。

今、『独眼竜政宗』の歓迎ムードである。

東北復興の一助となれば、震災に遭われた方々はもちろん、復興に携われる方々の励みになるのではないかと思う。

ドラマの出演者としても、時を超えて望外の喜びとするものに違いない。

これから、さらに復興が加速されることを願ってやまない。


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黄色いリボンに思いを馳せる [時事]

1960年代、テレビでよく西部劇を見ていた。

今でも覚えているのは、幌馬車がインディアンに取り囲まれ、必死に馬車を守ろうと応戦するシーンだ。

多勢に無勢の絶体絶命の窮地に駆けつけるのが、騎兵隊だった。

当時白黒テレビだったので、よくわからないが、騎兵隊のシンボルカラーの黄色いスカーフをたなびかせながらだったのだろう。

小さいときは、そのかっこよさに憧れたことを良く覚えている。

僕がボーイスカウトにはいったのもそうしたかっこよさに憧れてのものだったに違いない。

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最近のニュースを見ていると、あまりの滑稽さ、幼さに言葉を失う。

一昨年、このブログを書き始めた時から、進展しているのだろうか。

ロンドンオリンピックでの、韓国サッカー選手の無謀から燃え上がった感がある歴史認識問題。

その間、日本、韓国、中国とも政権が交替した。

その決定過程の中で、国民の世論を背景として、意見が先鋭化したというべきか、拡散化したというべきか。

いずれにしても、米国の国力が相対的に低下し、中華思想を淵源に国力を伸ばす中国、小中華思想で歴史的に従属傾向がある韓国、歴史的に南下政策を推進するロシア、イギリス流にいうならば大陸からの『名誉ある独立』にも似た歴史的に微妙な距離感を保とうとする日本。

新たな国際的枠組みが必要なのはわかるが、もう少し外交努力によりスムーズにできないかと思う。

解決は消耗戦になってきた感がある。

そうした中にも犠牲者は増えていく。

韓国珍島沖の旅客船沈没事故は、発生から10日が過ぎた。

多くの修学旅行中の学生が被害に遭ったという。

その間、日本など諸外国の援助の声が上がった。

しかし、残念ながら、支援はならなかった。

ここにきて、オバマ大統領の訪韓に合わせるように、米海軍の支援が受け入れられるようになった。

しかし、遅きに失したとの悲観的な観測が現実味を持つのではないだろうか。

儒教国家独特の面子を重んじる考え方は、同根の日本人にも理解できる。

しかし、それにより失われるものの大きさを知るべきなのではないか。

犠牲になるのは、これからの若者なのかもしれない。

しかし、日本としても、前回自衛隊の銃弾提供で、韓国の世論に冷たいしっぺ返しをされた感があり、今回の救助支援の申し出も及び腰ではなかっただろうか。

人道的見地から何かできるのでではないか、模索し続けるものでありたいと思う。

今、韓国では、『黄色いリボンキャンペーン』がおこなわれている。

黄色いリボンに込められた意味は、『無事に帰ってくることを祈る』ものだ。

起源は諸説あり、古くは中世のイギリスにあるのかもしれないが、南北戦争、ベトナム戦争など、多くの場合に一つのシンボルとして、多くの人が心を一つにしてきたということに変わりは無いのだろう。

冒頭のアメリカ西部開拓時代、インディアンに囲まれた幌馬車が、騎兵隊を待つシーンが思い起こされる。

象徴的に黄色いスカーフやリボンに込められたそうした願いに思いを馳せる。

僕は、黄色いリボンを胸に抱けるだろうか。

そう有り続ける自分でいたいと思う。

                                  


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桜田淳子 忘れな草の伝説 [桜田淳子]

『失われた20年』とは、何だったのか。

 

このブログの記事の一つ一つは、この事へのアプローチに多くを費やしてきた。

行きつくところ、この事に凝縮しているのかもしれない。

 

自分自身、1991年、92年、93年と慌ただしい時を過ごし、冷静な判断ができないまま、時の流れに身を任せたというのが正直なところだろう。 

この間の経緯については、これまで書いてきたが、いつの日かもう少し丁寧に書いた方がいいのかもしれない。

しかし、もう少し、これからの推移を見ようと思う。

 

『わすれな草』という青いかわいい花がある。

この花に託された悲しくもせつないが、けなげな伝説があるという。

 

伝説では、兵士は、恋人に花を贈ろうと川に入る。

そのうち、濁流となり、水は兵士を飲み込む。

覚悟を決めた兵士は、花を恋人の元に投げ、流される。

こんな話だそうだ。

 

1990年代初頭に、大きな『時代』といううねりがあり、価値観が変わってきた。

私は、これまで、時代という大きなうねりの中で、桜田淳子さんの評価が非常に過小に評価されていたと言う風にとらえていたのかもしれない。

それは、1970年代は数々のヒット曲を重ね、1980年代は数々の舞台を踏み、賞を受けたことだけでも、特筆すべき事だったのに、それが無きものにされていたことが不思議だった。

あるいは、芸能活動のわずか数パーセントにも満たないお笑いのコントがクローズアップされることも奇異だった。

だから、その理由が知りたかった、

 

しかし、もしかしたら、『失われた20年』間に濁流に飲まれていたのは、僕らの方ではないだろうか。

 

夢でも見ていたのではないか。

 

時代という流れに飲まれず、おぼれる僕らを見つめ、岸辺で見守られていたのかもしれない。

濁流の中でもがいていたのか、岸辺で見守っていたのか。 

物事の見方は、立場により変わりうることを経験則で知っている。

 

私は、このブログを書きながら、実は桜田淳子さんの正当な評価を求めながら、実は、そうした時代に流された『自分探し』をしていたのではないかとさえ思う。

 

正直今更、時代が戻ればいいとか、大上段なことは考えていない。

いや、むしろ、復古主義は好むところではないし、発展的に昇華していかなければならないことを望んでいる。 

今抱える矛盾が、どのように解決されていくのだろうか。

 

昨年11月26日、ファン感謝DAYで、『わすれな草』は、『青い花』として共有された。

 

桜田淳子さんとファンの『デビュー40周年』は、多くの思いとともに、過ぎていった。

数々の偶然があったとはいえ、多くの方の永年の努力が実を結んだと言っていいと思う。

 

41年前、桜田淳子さんの『スター誕生』でのデビューコーナー登場がうっすらと蘇る。

淳子さんが、忘れやすい青春時代の僕らの心に植えておいた『わすれな草』は、鮮やかな群青色だっただろうか。

2月25日を静かに迎えられたことが嬉しい。

 

追伸  動画のUP主様に感謝します。


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